第7話 心理四原色 補色
自分の色を探して 第7話
前回は3という数字についてのお話でした。
その続きで今回は、4という数字についてです。
ですから前回お話したことをちょっとだけ振り返ります。
色の世界と3という数字は、なにかと関係が深いという話でした。
光の三原色によって、あらゆる色を作ることができます。
光の三原色とは
①赤(RED)②緑(GREEN)③青(BLUE)
この三色の光の強さを変化させてどんな色でも作れます。
なるほど
「紫は赤と青を少しずつ混ぜればいい」とか
「青と緑の間の色は青緑」とか納得しますよね。
でも、ちょっと待ってください。
「赤と緑の光の強さを調整することによって、オレンジ、黄色、黄緑ができる」と言われて、何か違和感がありませんか?
赤と緑から黄色ができる?・・・ちょっと無理があるなぁ。
赤と緑から黄色ができるのは不自然じゃないですか?
やっぱり黄色は独立ですよね。
黄色と赤からオレンジができるのは納得します。
黄色と緑から黄緑ができるのも納得します。
それが人情というもの・・・そう思いませんか?
多くの人がそのように思うそうです。
だから赤・緑・青の原色に、黄を加えて欲しい。
これは気持ちの問題ですよね。
つまり心理的なお話です。
ですから、赤・緑・青に黄を加えた四色を、心理四原色と呼んでいます。
四だとなにかと便利
ひとつの平面上に四つの点をお行儀よく並べると、正方形になりますよね。そこに心理四原色を配置すると、反対側の色がわかります。
赤⇔緑、黄⇔青ですよね。
反対の色というのは、三原色だとよくわかりません。
しかし、心理四原色だとよくわかります。
人は、目で三原色を捉えます。
捉える器官は視細胞と呼ばれています。
この捉えられた色彩情報は、頭の中では心理四原色で認識されます。
頭の中つまり脳は「やっぱり黄色があったほうが、無理がないよね」と思うのだそうです。
この反対の色同士の組み合わせは、とってもバランスがいいと感じるのです。
反対の色のことを補色と呼ぶのですが、コーディネートに困ったときは補色で配色すると間違いありません。
ただし、鮮やかすぎる色同士だと、反対の色は喧嘩してしまいます。
配色では少なくとも一方はやわらかい色にしてみましょう。
補色によるコーディネートはこんな感じです。
シャツのオレンジ(黄色に寄っている)とジーンズの青(紫に寄っている)とが、補色の関係ですね。
そして、ジーンズはダメージのある分、彩度が低く感じられるので、コーディネートとして申し分ありません。
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日本的な考え方とは
ところで、日本語としての色は、そもそも何色から始まったのでしょう?
ここからは、日本語としての色の始まりについて考えてみます。
これも数字の四と深く関係しています。
最初の色の名前は、光の状態のことを言っていました。
闇の世界から朝になり、明るくなっていく時の色。
あるいは闇の世界を照らす炎の色。
周囲を「明るく」していくので「あか」という言葉が生まれます。
反対に「暗く」なっていく時に「くろ」という言葉が生まれます。
光が薄くて、ぼんやりとしており実態がよくわからない状態。
すなわち「淡い」から「あお」が生まれました。
その反対に濃い光があると、周囲の物がはっきりと見えます。
「著し(しるし)」から「しろ」ができました。
「あお」「あか」「しろ」「くろ」が最初に生まれた色の名前です。
そのためこの四色だけは「青い」「赤い」「白い」「黒い」というように「い」を伴って状態を表す言葉にできます。
このように色名で「○○い」と言えるのはこの四つだけです。
この四色に準ずる色が「黄」と「茶」です。
「きいろい」「ちゃいろい」というように「いろ」を途中に入れると「○○い」の形にできます。
ところで四といえば
私たち日本人の暮らしには四という自然に囲まれています。
それは「四季(春夏秋冬)」と「四方(東西南北)」です。
四季と四方に「あお」「あか」「しろ」「くろ」を当てはめました。
「東西南北」それぞれの方角を司る守護神も決めました。
それが「青竜・朱雀・白虎・玄武」です。
さらには自然にも色をあてはめます。
「木」は「青」、「火」は「赤」、「金」が「白」、「水」が「黒」
そして、太陽をめぐる天体、すなわち惑星にも色を当てはめます。
歳星(木星)が「青」、熒惑星(火星)が「赤」、太白星(金星)が「白」、辰星(水星)が「黒」。
ホルスト:組曲「惑星」 [ 冨田勲 ] ホルスト:惑星/[ ズービン・メータ ]
有名なのは、人生を4つに分けて、それぞれの色に当てはめたことですね。
ここまで、読みすすめてこられた方は、想像がつくと思います。
青春、朱夏、白秋、玄冬のことです。
まだまだ青い春、赤く燃える夏、人生の実りの秋、そして冬。
冬は暗くて寒いものではありません。「玄冬」の「玄」の字は「玄人(くろうと)」のことです。
つまり「人生の玄人」「人生の達人」を表しています。
年をとったら是非とも人生の達人と呼ばれたいものです。